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かけがえのない人生を生き抜く権利を目指して

時事ニュース

かけがえのない人生を生き抜く権利を目指して

同性愛者などについて、現在は、LGBTと定義することが多いようだ。ゲイを始めとする性的マイノリティは、日本で「最後に残された差別」というべきだ。私は、今年、アウシュビッツを訪れたが、ジュ―以外に、ゲイという差別項目があり、この差別が歴史的に根深く、かつ、深刻な差別を受けていたことの裏付けに他ならない、と感じた。

日本には、非嫡出子の問題があったが最高裁の判例見直しにより違憲とされた。当然のことである。他方、夫婦別姓は認められなかったものの、女性は人口の半数以上を占めるから少数派ではなくこの問題にはいつか何らかの立法的措置が施される。

 

アメリカの連邦最高裁が、違憲判決を出し同性婚を合憲と解してから久しい。しかし、連邦最高裁が扱ったのは悲劇的事象であった。我が国でも悲劇的事象が起きなければ同性愛者の権利は保障されないのか。そのようなことはあってはならないことだ。

 

連邦最高裁が扱ったのは、次の事案である。

ジョン=アーサーとジェイムズ=オヴァーゲルは10年以上交際を続けて互いに信頼も厚いゲイカップルである。しかし、その幸せな2人に、突然の悲劇的な事態が起きた。アーサーがALSを発症したのである。ALSとは、全身の筋力が衰えていき次第に死に至るという寛解不可の不可逆的な難病である。

 アーサーはもはや自力で動くこともかなわず、命の灯火が線香花火のようについえようとするとき、二人が求めたのは婚姻という結びつきであった。しかし、彼らが住むオハイオ州では同性婚が認められておらず、やむを得ず彼らはヘリコプターに乗り込み、メリーランド州上空で結婚式を挙げたのである。アーサーが婚姻の意思を持ち、かつ、届出意思を有していたことは、アーサーの満足そうに笑う結婚式の写真からも明らかである。

 しかるに、オハイオ州はふたりの結婚の承認執行を拒絶した。両名の代理人及び訴訟承継人の上告人代理人の論旨は、オハイオ州は彼らの婚姻を認めず婚姻する権利という人間の尊厳を侮辱するものであり形式的な承認執行を認めない点で手続瑕疵があり、ゆえに合衆国憲法の平等原則に違反すると主張すること、アンチソドミー法(同性間の性交渉を違法とする法律)を違憲とした連邦最高裁判例に相反すると主張した点にある。

 

 アメリカの判例では合衆国憲法修正14条に違犯するというものであり、婚姻に関する自己決定権の重要性を述べて家族に関するその他の事項について、プライバシーが尊重されるとしながら、家族関係に入る決定のプライバシーを尊重しないのは矛盾しているという先例が引用されている。

 

 現在、同性愛者に対する差別を解消する不断の努力がなされ、パートナーシップ証明書も一例として挙げられる。世田谷区や那覇市の取り組みには敬意を表したい。

 

 差別の本質は、社会的な性役割があるが、これは離婚による男性の立場と同様、ジェンダー・ロールというものは見直される必要がある。具体的には、ゲイは、必ずしも女装をしたり化粧をしたりするわけではない。ただ、役割分担はパートナー同士でしているケースもあるだろう。もっとも、いわゆる男性役割であっても、家庭にポジションをもうけることが、離婚における男性阻害、そして同性愛差別を解消する唯一の道ではないか、と考えられる。

 

 性自認、性的志向は各人の人格と結びつくものでありアイデンティティの要諦である。そしてミルの危害原理からいっても他人に迷惑をかけることはあり得ない。よって、男性として男性を愛したり、女性が女性を愛したりすることは、私生活のなかで、人間として、かけがえのない人生を生き抜くために必要不可欠のものだ。安易に男性による性の支配構造を結びつけることは短絡的であり、私は賛成できない。問題はよりセンシティブでフェミニスト運動の延長線上にレインボー運動があるのではない。

 

 実体に即すると、やはり、アパートの問題や生命保険の問題、保証人の問題など、配偶者に準じた保護が与えられる必要がある。そうでなければ、ふたりでひとりとなりかねないものであり、個人の尊厳の否定になることは明らかである。たしかに結婚は公的機関の承認で社会権的側面がある。しかし、婚姻は、自然権として法が存在する以前より存在していた制度とみるべきものであって、法により創設されたものではない。したがって、社会権であっても明白性の原則など緩やかな基準で合憲性判定基準を設定することは妥当ではない。

 

 ソドミーという性の問題というよりも、ゲイなどの同性愛者のライフスタイルを憲法で保障するという理論的視座が非常に重要である。それは婚姻による結びつきを超える結びつきは地球上には存在しないからである。したがって、国には、各人の性の特徴、性自認と性的志向につき保護義務があると解される。

 

 尾崎裁判官は、生まれながらに日陰者として扱われるものは、精神作用に対する阻害そのものであると断じ、平成7年の時点から非嫡出子についての相続分差別を違憲であると追加反対意見で明らかにしている。この射程距離はゲイなどの性的マイノリティについてもあてはまる。よくある例として、中学生にゲイと自覚したケンは、その後、同性愛者であることを隠して家族、そして社会で生活してきた。そして、宇宙の片隅にあるゲイの集まるコミュニティに週末行くのが楽しみであった。

 

 もちろんゲイはモノガミストは少なく、ケンも刹那的な性交渉を多くの男性と結びコンドームは必需品という。しかし、そうしたものを超越すると精神的な結びつきが生じる。別に、ゲイだからといって多くのものを求めているのではなく、単に男女と同じ生活を望んでいるだけである。ポリガミストは日本では支持されないので、公共の福祉に照らしてすべてのセクシャリティが尊重されるわけではない。しかし、内縁的なゲイカップル等については、その保障は法的承認のレベルまで高められなければ立法不作為による差別に該当する。

 

 ジョン=アーサーのように、わざわざヘリコプターに乗り込み、他国まで行かなければ婚姻できないというのは、我が国においても憲法14条の性別による差別そのものである。そして、性的少数者は代表民主制の下、国会に代表を送り込むことができないからこそ、あきらめず立法不作為の訴訟など司法的解決が望まれると私は考える。そのためには、アトミズムになりがちなゲイをユナイトさせるものが必要である。同性婚など連邦最高裁と同じく、多くの目的を共有するものによるたゆまぬ努力こそ、そして少数者に配慮する政治的指導者の存在こそ、そして、それを突き動かす下からの民主主義を行うことこそ、重要なもののように思われる。

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