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炎上で突然の休刊―ヘイトスピーチは「表現」ではない

LGBTニュース

炎上で突然の休刊―ヘイトスピーチは「表現」ではない

「貧すれば鈍する」-とはまさにこのことである。ゲイなどのLGBTに対するヘイトスピーチの論文を再度掲載した新潮45が廃刊に追い込まれた。新潮社は、「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程で編集上の無理が生じた」と説明し「このような事態を招いたことについてお詫(わ)び致します」と謝罪した。

 

新潮社は、「謝罪ではない」とした社長声明を4日前に出し、「炎上商法」と手厳しく批判され、挙句、本社の看板には、「ヘイトスピーチ、YONDA?」と自社のキャッチコピーのパロディの落書きを受けた。それだけではない。問題の本質が深刻であるのは、新潮社は、「心から反省」して廃刊したのか疑問だ、という点だ。

 

風向きが強くなったのは、社長による「炎上商法」批判からであった。その前後から新潮社の本を店頭から下げる動きを見せる書店が出たり、一部の作家が新潮社への執筆とりやめを表明するなど、一部の「アンチLGBT」に媚びを売る痴漢と同列視する論文を掲載しているうちに廻りは敵だらけになっていたということである。

 

新潮社の伊藤幸人広報担当役員は「部数低迷で編集上の無理が生じ、十分な現行チェックができなかった」と「業務レベル」で説明したが、ヘイトスピーチを掲載した図書は一部の熱烈な支持者に購入され安定的な売り上げを叩き出せる。つまり「経営レベル」でアンチLGBTのヘイトスピーチを繰り返した疑いが強いのである。

 

新潮45は、社会派の一翼を担ってきたのは事実であるが、私たちが大学時代、ほとんど「ヘイトスピーチ」を表現の自由で学ぶことが少なかった。他の表現と異なるという認識の甘さがあったことは否定できまい。また、「プライバシー」についても同様である。時の経過により、LGBTに対する敵意、憎悪、嫌悪などを表す表現であるヘイトスピーチが「表現の自由の濫用」とされ社会の強い怒りを買い、思想の自由市場での議論すら許されず撤退を命じられる時代になったことは、この分野でのスピード感に驚かされるところがある。おそらく新潮社の編集も表現の自由には特別の価値があり、特定の見解からの論評も保護されるのではないか、そういう誤りがあったのだろう。

 

そもそも、ヘイトスピーチは、近時、ネット環境での高度情報化社会により、単に掲示板にヘイトスピーチを乗せるだけではなく、違法かどうかは別として転載が非常に容易になっている。そして売上が低い出版社ほどさほど宣伝と考え著作権にもこだわらない傾向がある。本件の議論の経過も興味深いものであった。①水脈氏の論文掲載→②LGBT側から批判→③水脈氏擁護の論陣→④新潮45廃刊というわけである。特に③はLGBTについて研究をしている論者からの指摘ですらなかったのであり、どちらかというと党派性の批判が大勢を占めていたように思われる。

 

このような場合は、言論には言論で対抗するという思想の自由市場がもはや機能しておらず、多数が少数を批判する場面では差別行為にすぎにのであって、出版はそのツールにすぎない。表現の自由の利益を享受できると考えることはできない。

 

また、アメリカやヨーロッパでは、黒人、ユダヤ人、ナチス擁護などについては、刑罰をもって処罰しているが、今回の騒動により、差別的表現については、それがなされた場合、現在の日本では客観訴訟となり救済を受けることが難しい。また、国内の言論の過度の分裂によって他方を「フェイクニュース」扱いするなど思想の自由市場が成り立っていないという現実を新潮45はつきつけたといえる。

 

一番重く受け止めなければならないのは、分断を助長する多角的視点の提供を怠った点である。

論証する過程で、主張への反証となる事実への謙虚な姿勢を失えば、空論や暴論になるのであって、異論に耳を傾けないのは雑誌メディアであるからといって本来望ましい姿とはいえない。

今回、まさに新潮45がしたことは、空論や暴論のヘイトスピーチで、少数派の人権を損ねたことであり、このような言論は、本来、刑罰をもって思想の自由市場から退場させるのがグローバルスタンダードであるが、25日夜の抗議活動など、民主主義のチカラによりヘイトスピーチを駆逐したのであればそれは望ましい。

 

しかし、他方、表現の自由は一定の合理性があるのか否か、複数の論客による検証をしてからこそ、出版社の適切な態度といえよう。

 

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