若き友人たちへ―君の名は・・・
さて、このサイトは、LGBT、明晰にいえばゲイの人向けに手紙を書こうという試みでもある。
しかし、なぜ私はそのような所為をしようとしているのか。それは、まず何よりも先ず、私がお節介だからでしょう。
弁護士を10年近くやってきた仕事というのは、一言で言い表すと「お節介」業なのかもしれません。
世の中はこうあったほうがよい、ということを絶えず言い続ける、少なくとも僕がそのようなことを主張したことを形として残しておきたい。
それが習わしになっているようです。もちろんゲイのサイドでも押し付けがましいだろうな、と思うときがあります。
かえってスポットが当たらない方が都合が良い面もあるでしょうし。
しかし、私は、いろいろ工夫はしつつ、ひと様のことはとやかくいうのですから、お節介であることには変わりはないと思います。
LGBTの問題は、おきてしまったら後の祭りということが多いと思います。
まだ、名も知らない君に。心配性のリーガリズムを掲げていきたいと思います。ゲイの人は、代表民主制のもと選挙で代表者を送り込むことはできません。
ヘイトスピーチなどマイナスが起きるとき、言い立てるのが、心配性、いわばプラスのリーガリズムだと思います。
もともとへこまななければ元に戻すことはありません。しかし、その一方で転ばぬ先の杖というものもあります。
その心配をみているのは、憲法上の存在である弁護士の大事な役割だと思います。
さて、平成25年に渋谷区で同性パートナーシップ証明制度が始まり、世田谷区では同性パートナーシップの宣誓が受理されるようになりました。
世田谷区長は、麹町内申点事件最高裁判決の原告ですからもともと特殊なエネルギーの持ち主です。これに追従するのは伊賀、宝塚、那覇にとどまっています。
私からすれば、ダイバーシティの東京で世田谷区しか宣誓が受理されないような仕組みが「広がりをみせている」といえるのか心配を抱きます。
しかし、婚約破棄事例の裁判を担当しておりますと、最近、結納や婚約指輪の交換をしない事例も少なくありません。ですから、婚約破棄裁判は少し昔の考え方では、難しいように思うのです。フランスではPACSという制度がありますが、まさにパートナーシップの認証制度です。実は利用者の9割以上が男女間ということですから、「パートナーの認証」という視点からの切り口も欠かせないと思われます。
学説をみますと、婚姻はこどもがマストが否か、というところで分岐点になっているところが多いようです。しかし、日本も「重い」法律婚制度と比べると、PACSのようなライトなパートナーの認証制度をもうけるべきではないか、と思います。私は、これは「結婚」とは全然別のものと位置づけるべきだと思うのです。
しかし、そういういっているうちに、最高裁が一般的な自由恋愛的なパートナーシップは法的保護に値せずという判決を出してしまいました。違憲判決は出さないのに合憲判決ばかりだすのと同じで、最高裁判決が根拠で新しい発想が阻害されているのではないかと思うのです。
この執筆は、自由と正義平成28年11月号31ページに触発されて執筆したものである。しかしながら、鈴木=森の主張はにわかには賛同できないところである。我が憲法は、かけがえのない人間として生きぬくために必要不可欠な権利を13条以下で「基本的人権」として保障しているのである。そして、私は、同性婚といっても我が国では養子縁組制度が機能していない実態に照らすと、「同性婚」という問題の立て方よりも、婚姻類似の婚約やパートナーシップを認証する代替手段が存在しないことをもって、憲法13条、特に14条1項の「性別による差別」に該当するというべきものと解する。この点、鈴木らは憲法24条は同性婚を禁止していないというが、「両性」という文言の形而上学的解釈から禁止されているという見解も有力であり文言解釈からすると、憲法が当時から憲法24条で同性婚を予測し保障していたと解するのは土台無理な主張と言わざるを得ない。
私は、同性カップルに、ラディカルに婚姻制度をもうけよ、と主張しないが、少なくともこどものいない法律婚のカップルと同程度の保護を要求する。そうでなければ平等原則に反することは明らかというべきである。同性カップルの場合だけ、婚姻の意義を「こども」という防波堤をもうけて社会から隔離させ、孤立のうちに死に追いやることのないようにしなければならないと思うのである。以上により、憲法13条、14条のうち、本件は「性別による差別」に該当するというべきであるから、現在、法的レベルでは全く代替手段がない状況が憲法14条1項に違反するか否かは厳格な合理性の基準で判断するのが相当である。
同性婚ないし世田谷区が同性パートナーシップを導入しているのはそれなりの必要性があってのことである。つまり、生命保険金の受取人になれなかったり手術の同意権利があるのか、相続の問題、そしてアパートの保証人や入居を断られるなど様々な差別に遭っている。これを正当化してやまない立法目的は、同性に対する法的保護に一定の理解を示す社会的認識の変化という立法事実の変化をあげることができる。
自由と正義の取材によると、スペインのサバテロは、同性婚の法制化にあたり「私たちは、私たちの隣人、同僚、友人、親族が幸福になる機会を拡大しようとしているのだ」と述べている。私見は、世田谷区のようなパートナーシップの宣誓を同性・異性を問わず認めるべき、と考える。憲法論として、13、14、24条という大上段の議論よりもフランスのパックスのような制度、人間の尊厳のためにその生活保障を図るという地に足をついた議論を求めたい。地球レベルで考えれば、我々は世界とつながりあっています。しかし、この問題では欧米とは差がありますし、温度差は大きいように思います。
目的は、単にゲイカップルについて婚姻という概念はあり得ないというにすぎず、実質的関連性の観点から何らの保護を与えないというのは、目的と手段が釣り合っていないのは明らかです。これら問題を考えていくとどこまで深刻な問題であるのか、深刻でないからこそ無視されてきたということなのでしょうか。近時の原発避難のこどものいじめ問題をみても、異質な何かを排除して快楽を得るという「負の負債」の返済は、次世代に委ねられるのです。LGBTのみなさんも、いま、繰り返してきたとき、いまこのときをいきる「世代責任」を感じて声なき声を現実化させていかなくてはいけないと考えます。
同性カップルの問題等に関しては、名古屋駅ヒラソル法律事務所までご相談ください。